コンサートとシンポジウムという内容で、今年2回目です。
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前半のコンサートで特に印象に残ったのは、一柳 慧さん作曲べートーヴェン:ピアノソナタ 第14番 「月光」 第1楽章 同時演奏 一柳 慧 Music for Living Space with computer voice (1969曲の後半にラジオから聞こえるような、コンピューターで作った音声が入ってきます。特に曲のリズムやテンポにあっているということもありません。
初めは違和感しか感じなく「何これ?」と思ったのですが、徐々に頭の中が「ALL WAYS 3丁目の夕日」のような昭和の風景が頭の中に広がりました。なぜか生活感が出るというか、雑踏の中に「何も関係ありません」という顔をして、淡々と流れる「月光」自分の意識のなかで、ピアノかラジオの音か?どちらに意識を集中させるかで見える風景が変わる、古典から現代を行ったり来たりするような体験は初めてでした。そ
そして、クラリネットでのL.ベリオの「セクエンツィアⅸ」この曲はサクソフォン版では「ⅸb」として今や、サクソフォンで有名な現代音楽の楽曲の一つの数えられます。板倉康明さんの曲の構成がよくわかる素晴らしい演奏に感銘を受けました。サクソフォンの演奏はどうしても何もかもが「行き過ぎ」になってしまうので反省(笑)高い技術は当たり前で、その先の「音楽」を表現することが大切なんですね。
さて、シンポジウムは「劇場音楽の未来を考える」でした。
私が尊敬してやまない浦久俊彦さんがモデレーターで議題が進みました。パネリストは一柳慧、三輪眞弘、板倉康明、森田順子、寺井結子の各氏。
劇場(ホール)は誰のもの?という問いかけから始まり、そこから人口減少問題や国の財政の問題など、想像を超えた話の広がりが面白かったです。
私も常々、ホールに足を運んでいる型の年齢層が高いことから、「ここに来ている人が、いずれ来られなくなった時、コンサートはどうなってしまうんだろう?」と心配していました。 また、今はインターネットで「好きな場所」で「好きな音楽」を「個人」で楽しむことができます。
こんな世の中になり、先が分からないですが、インターネットを使って個人で楽しむということは、流れてきたものを一方向で楽しむもので、こちらの感動がリアルタイムでは奏者に伝わりません。また、誰かと感想をリアルタイムで共有することもありません。このようなことが可能になるのが「劇場」でしょう。何百人〜千人も入るようなホールを満席にするのは大変になるかもしれませんが、やはり、ホールに出かけていくことも一つの楽しみになるような「仕掛け」も考えていかなくてはならないと思いました。もちろん子どもたちへの教育も大切です。
最後の方に、板倉康明さんが、今は楽器の性能が良くなったおかげでプロとアマチュアの差がなくなってきたと言われました。邦楽器は、楽器の作りが単純なだけに、楽器を持っただけでプロかアマチュアか違いがわかると。
そこで、「プロには何が必要か?」やはり、「文化を知ること。歴史を知ること。フランスでの生活が長い板倉さんのお話、演奏にも裏付けされていて説得力がありました。小手先のテクニックではなくバックボーンがどれだけあるか?に差が出てくるということでしょう。とても身の引き締まる思いで帰ってきました。
来年も開催されるそうで、今から楽しみです。