大石将紀andクロード・ドゥラングル サクソフォンデュオ

コンサートレビューです。

5/22 に名古屋の宗次ホールで聴いてきました。

コンサート後、これを書くのに時間が経っているのは、あまりにも衝撃が強すぎたから。

バッハのインベンション。ヒンデミットのオリジナル作品。二本のアルトサクソフォンのための演奏会用小品 ここまでは、普通に解釈や音に思いを巡らせていました。

そして、大石さんのソロ 細川俊夫作曲のスペルソングー呪文のうた 始まって30秒もしないうちに心を掴まれたってこういう事?胸が熱くなるのをはっきりと感じた。細川俊夫さんという作曲家の名前は、作曲家の友達から何度も聞いたことあって、知っていた。曲もいい曲でした。

大石さんは、「演奏者」というより、「表現者」というのがぴったりだと感じました。

たしかに、サクソフォンを演奏している立場からいうと超絶技巧と言える、とんでもなく速い指の動きやタンギング。こんな小さい音出るの?って思うほどの小さい音。微分音やら現代奏法と言われるものの数々…

現代奏法とか、フラジオとか、サクソフォンの歴史の中で、新しい奏法として、名前を付けられた技術を習得し、自身の「音楽」としてパフォーマンスされていたのを羨ましく思い、無謀だと思いつつも「この曲吹いてみたい」と思ってしまった。

その後も、現代音楽のプログラムが続いた。

私は今、殆ど亡くなってしまった作曲家の曲をどういう背景で作られたか?とか、ここの解釈をどうするか?という事を考えて、曲を仕上げていく事が多く、その過程がとても楽しく、飽きない時間ですが、現在生きている作曲家に楽譜を頂いて、実際話をしながら曲を作り上げていく作業もまた、楽しいだろうなと思いを馳せた。同じ時代を生きているもの同士で作ることができるなんて、とても創造的で素敵だろうなと。近いうちに実現できたらなぁ。

ふたりとも、素晴らしすぎた。

私自身、大学を出てから、フランスに留学したかったのを断念した。

もし、留学していたら、今、目の前で繰り広げられているこの世界、もっと身近なものとして捉えられたかもしれない。もっと理解できたかもしれない。と考え出して、取り戻せない過去への後悔の念に苛まれた。届かなかった希望、閉じ込めていた思いが蘇り、コンサートの終わりは涙を堪えるのに必死でした。

初めて、服部吉之先生のレッスンに通い出してから30年以上が過ぎた。雲井雅人先生や他の数々の演奏家の方から影響を受けてきた。今も使っているゴールドプレートのアルトを買った時に、服部先生から「この楽器で、自分しか出せない音を目指しなさい」とアドバイスを受けて以来、座右の銘として心に留めてきました。いつのまにか、30年。サクソフォンという楽器そのものも、奏法も音楽も変化している。

昔に聴いた、力一杯吹いて、指、早く動かしています。という、音楽より技術が前に出てしまっているサクソフォンのイメージはどこにもなかった。

2人の表現者に支配された、時間と空間があった。

サクソフォンで表現をするということに、近づいていきたい。

PAGE TOP